こんにちは、やざです。
11月8日に巨人の坂本勇人選手が2000本安打を達成しました。本当におめでとうございます!
いや~、本当にすごいですね!尊敬します。
僕も9年間野球をやっていたのでわかりますが、安打(ヒット)を打つのは本当に難しくそれを積み重ねていくのはさらに難しいです。それを右打者では最年少記録を獲得されたのでただただ拍手を送りたいです。
このすごい快挙を皆さんに知って頂きたいと思いました。
■内容
巨人の坂本勇人選手が2000本安打達成された時を詳しく説明します。
巨人の坂本勇人選手(31)が11月8日に今季ホーム最終戦となるヤクルト戦の第1打席で左翼線二塁打を放ち、史上53人目の通算2000安打を達成しました。

31歳10カ月で達成されたのですが、この記録は1968年に過去活躍された榎本喜八選手という方がおり、この方は31歳7カ月に達成されていて、それに次ぐ歴代2位の年少記録となります。右打者では歴代最年少の記録を獲得されました。
打った時の状況は第1打席の初回2死走者なしの場面で相手チームの先発投手であるアルバート・スアレスから左翼線に二塁打を放ち、見事達成されました。二塁ベースに到達すると球場に来てくれたファンの方たちに笑顔を見せ、球場は大きな拍手に包まれていました。また、巨人ベンチから中島宏之選手、ヤクルトベンチからは山田哲人選手が出てきて坂本勇人選手を祝福。花束が渡されました。

巨人では川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、柴田勲、阿部慎之助に続いて6人目の達成。本拠地での達成は初となりました。
■坂本選手はどんな人なのか?
坂本勇人選手はいったいどんな選手なのでしょうか?
坂本勇人選手は小学1年生から野球を始め、兵庫・伊丹市の少年野球チーム「昆陽里(こやのさと)タイガース」で投手として取り組んでいました。その球を受けていた捕手はなんとあの田中将大選手(現ニューヨーク・ヤンキース)で幼少期バッテリーを組んでいました。夜は公園に仲間を集めて素振りなどの個人練習をして、やると決めたらとことんやる性格だったそうです。
その後中学時代はリトルシニアの伊丹シニアに所属し、高校時代では八戸学院光星高等学校に入学され、野球部に入り高校通算39本塁打を打ちました。2006年に巨人に指名され見事プロ入りを果たしました。
プロ入り後、1年目から活躍され巨人では松井秀喜選手以来の10代で開幕スタメン入りを果たしました。また開幕スタメン入りしたその年にオールスターゲームに初出場し、第2戦で初安打を記録しています。日本シリーズでは、埼玉西武ライオンズの西口文也選手から本塁打を打ち、10代での日本シリーズ本塁打は当時西武だった清原和博選手以来22年ぶりの快挙でした。その後、数々のタイトルを獲得し、一躍スターになりました。
しかし、20代中盤に突出した成績を残すことができず、超一流打者の壁にぶち当たっていました。超一流打者になるために試行錯誤を続ける中、2016年に球団OBである松井秀喜選手が訪問した時にアドバイスをもらい、それをヒントに軸足に体重を残す現在の打法に変えて覚醒しました。常に進化を求めてきたからこそ、今の坂本選手の人気があると思います。
巨人・石井琢朗野手総合コーチは「間近で見て、インコースのボールに対するさばきというか、バットの出し方は天才的」と称賛している。
■まとめ
皆さん今回2000本安打達成された坂本勇人選手がどんな方なのかわかっていただけたでしょうか?
僕も坂本選手のことを知っていく中でほんとにすごい人だなと思いました。
プロ入り後、すぐに活躍されいろんなタイトルを獲得されてきましたが、20代中盤に不調が続きいい結果が出ずにいました。そこで諦めるのではなく、坂本選手はどうすれば活躍できるかを試行錯誤したり、過去活躍された選手からアドバイスをもらったりとまた活躍するための努力をしていると思いました。
僕は野球がするのが好きなだけでプロ野球はあまり見てませんでしたが、坂本選手の活躍までの過程を知ることができたので、これからは見ていきたいと思います。
これからも坂本勇人選手のご活躍を期待しています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメント